나(ネ)から私へ / Korean “I”, Japanese “I”.
------ 「恥ずかしい話なんだけど」と前置きして、ある日本人の女性が、ぽつりぽつりと話した。 子どもの頃、近所の家に外国人のお嫁さんがきて、でも何年か後にはいなくなってしまったこと。 1980年代の山形県では、韓国、中国、フィリピンなどアジアの国々からお嫁さんたちが迎えられていた。 幾世代もさかのぼって家族が産まれて・亡くなるをくりかえしてきた家々も、毎年々々耕す田畑も、これから先つづいていくといえるのか、わからなくなりはじめた頃。村や町では男性たちだけが集められ、時には海の向こうへそろって赴いて、アジアの女性たちと集まってお見合いをした。男女ふたりのあいだに通訳をはさんで。そうして韓国、中国、フィリピンなどアジアの国々からお嫁さんたちがやってきた。 彼女たちのほとんどは、日本語を話せなかったという。 2018年。 山形の、長い冬には目も眩むような白い雪にいちめん包まれる山あいの村に「外国人のお嫁さんたち」がいた。今年で日本に来て30年、と彼女たちは言った。子どもたちの何人かは大学へ進み、都会で働いている。 日本に来た頃から今日までのことを、聞かせてもらった。 「お嫁さんたち」の口々から、こうした言葉が語られるようになるまでの時間を思った。 30年、と書いてしまうとあまりに簡単な、 彼女たちが過ごしてきた時間が1日1頁の〈本〉だとしたら ページの一枚々々にしみこんでいるはずの どうしようもないくやしさ、かなしさ そして心からうれしかったこと それは日本語でも、韓国語でもない 透明なインクのごとく 綴られている 頁間からこぼれ落ちるように、あるいはようやくかたちを持って目印となる その言葉たちを、〈しおり〉として挟んでおくことにした。 |